嫌な自分
関西人の名残か、私は歩くのが早い。
なぜかと言うと1秒でも早く目的地に着くと得した気分になるから。
エスカレーターは決まって歩くし、
エレベーターに乗ると行き先の階を押す前に扉の「閉」を押す。
どこでも最短距離で行きたがる。
一般的に私のようなタイプを「せっかち」と呼ぶんでしょう。
まだまだ私の「せっかち」はあります。
・赤信号で止まるのが嫌なので、交差点に地下があれば潜る。
⇒結局青信号を待って地上を歩いても同じだったら悔しがる。
・電車に乗る時は、降りる駅の改札の場所を思い出し近い車両に乗る。
⇒逆だったことも多々あり、自分で自分をなげく。
・エレベーターの扉が閉まりが遅いとイライラする。
⇒そんなエレベーターは昇るスピードも遅いので乗ったこと自体後悔する。
・行列には並ばない。
⇒そこまでして欲しくないと自分に言い聞かせる。
・電車の乗り継ぎがいいと心が弾む。
⇒悪いと急に心が沈む。
・PCで同じ変換ミスを続けると「アホか俺は」と心の中で呟く。
⇒そして3度目の変換ミスをし天を仰ぐ。
なんでこんなことになってしまうのか・・・。
そんな私の言い訳をさせてもらうと、(ちょっと意味合いは違いますが)
私は「時間」というもは命の次に大切なものと思っています。
それこそお金よりも。
時間は誰にでも平等に、かつ当たり前に与えられます。
ただ、その使い方は個人の裁量に委ねられているから大変。
1秒、1分、1時間の過し方によって、その日の生産性や価値が変わってきます。
またその積み重ねによって人生さえも変わる。
そう、時間は尊いのです。
ちょっと仰々しい例えですが、あえて書かせてもらうと。
犯罪を犯した人の極刑は死刑。
次に懲役。
次に罰金。
お金より時間を差し出す方が重いのです。
そんなことを考えているから、こんな小さな事で一喜一憂してしまう。
最初は仕事の生産性や効率を向上させるため、
時間を有効に使うことを意識し始めました。
それが最近はこんなところにまで影響を与えて、
自分の人間性や気持ちにまで及んでいることに習慣の恐ろしさを感じます。
昔はそこまで思わなかったのに。
「時間を大切にする」=「せっかち」=「意味の無いイライラを招く」
この図式から抜け出せないまま数年が経過。
今年こそは余裕のある大人になりたいものです。
本日の看板ネコ ピーコ♀
の~んびり構えりゃいいのににゃ
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こんばんは。
私もせっかちです。
歩くのも早いです。
近い通り道考えちゃいます。
並ぶの嫌いです・・・。
でも、ぼ~っとしているのも好きです。
時には時間がかかるの承知で各駅停車の電車乗ります。
青い空をじっと見ているの好きです。
なぜでしょう!?^^
各駅停車ですか・・・。
私には無い選択です。
ぼ~とするのも
空をジ~ッと見ることも無い私ですが、
豆を焙煎してる時は
無心になってるかもしれません。